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『経済倫理=あなたは、なに主義?』

アンケート結果(2014618-19日)中国武漢編

201407

Hashimoto Tsutomu

 


 

 中国の華中師範大学と武漢大学にて、招待講演を行ってきました。そのときのアンケート結果です。

 

■華中師範大学マルクス研究学院(大学院生、主として修士課程)

 

近代卓越主義 6

共和主義 4

支配者嫌悪主義 4

マルクス主義 2

地域共同体主義 2

リベラリズム(福祉国家型) 2

国家共同体主義

市民型共同体主義

新自由主義

国家型ディープエコロジー

 

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■武漢大学経済経営学部(大学院、主として博士課程)

リベラリズム 4

近代卓越主義 3

マルクス主義 3

新自由主義 2

開発主義 2

共和主義 2

平等主義

地域共同体アナキズム

支配者嫌悪主義

国家型ディープエコロジー

新保守主義

国家型共同体主義

 

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 華中師範大学における「マルクス研究学院」は、経済学部や政治学部とは独立した組織で、思想教育の目的で創られました。中国の拠点大学には、このような学院が設置されているようです。学部生よりも大学院生のほうが多く、大学院生たちは卒業後、主として、公務員や学校教員になります。もっとも中国でも少子化の影響で、学校教員になることは難しいようです。ですが公務員や教員になるためには、中華人民共和国の思想基盤たる「マルクス主義」について学ぶ必要があり、このような学院で学ぶと就職も有利になるということでしょう。マルクス研究学院には、とくに左派の学生が集っているというわけではなく、教師を目指す学生たちが多く学んでいます。教員を目指す学生には、女性が多いようです。

 マルクス研究学院の建物は古く、1950年代のものでした。大学は、建物自体を歴史的保存物として保存することを決めたようです。中央の入り口を入ると、右手に司馬遷、左手にマルクスのそれぞれ大きな顔像があって圧倒されます。歴史を司馬遷に学び、理論・思想をマルクスに学べ!、ということなのでしょう。二人の権威に支えられた研究院です。

 銅像のあいだを抜けて二階へ上がると、同研究学院の事務室があり、そこに入ると共産主義思想の貢献者たちの絵が飾られていました。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東、と並んでいます。中国語のマルクス全集も、机の上に無造作に積み上げられていました。

 私にとってこのマルクス研究学院にて講義することは、感慨深いものがあります。まだ東欧諸国が共産主義の国として存在した1980年代、私はマルクスやマルクス研究の書物から大きな影響を受けていたからです。

 講義は英語で行ないました。そして通訳を引き受けていただいた大学院生に、ときどき中国語で補っていただきました。講義の最中も、私は学生に質問したり、あるいは学生の質問を受けたりして、一時間くらい使って、現代経済倫理の導入的な話をしました。それから「あなたはなに主義」のアンケートに答えていただきました。その後の質疑応答を含めて、全体で二時間を使いました。時間を十分に使って、このイデオロギー分析の意義を理解してもらうことができたように思います。すぐれた通訳のおかげです。また質疑応答では、本学院の教員の方からも鋭い質問も出され、有意義な議論を交わすことができました。

 アンケートの結果を集計してみると、最も支持された考え方は、近代卓越主義(6名)でした。これは、北海道大学の学生にも共通して見られる傾向であり、中国でも同じ傾向がみられることに、新鮮な驚きを感じました。二番目に支持された思想は、共和主義(4名)と支配者嫌悪主義(4名)でした。People’s Republic of China(中華人民共和国)ですから、思想の基本は「共和主義」にあるということでしょうか。また、支配者嫌悪主義が多く選ばれた背景には、この国の政治的支配に対するカウンターとして、人々のあいだに美的な自尊心が形成されているのかもしれません。この立場は、美意識の高い中国人に支持されているように思われました。

 

***

 

 武漢大学での講義は、翌日行われました。武漢大学は中国で一番広く、一番美しいといわれるキャンパスです。(ただし厦門(あもい)大学のほうが美しい、という人もいます。)武漢大学は、120年以上の歴史があり、またこの場所は、大学創立以前も学問の府として機能していたようです。北海道大学よりも広く、キャンパスの中央は森になっていて、戦争中は防空壕が作られたりもしました。その通路を、現在は歩くことができます。

キャンパスにはいたるところに歴史的建造物が立ち並び、それらは現在も利用されつつ、保存されています。図書館も巨大であり、私がこれまで見たどの大学の図書館よりも大きかったです。北海道大学の中央図書館の六倍くらいでしょうか。あるいはもっと大きいかもしれません。大学は全体として、豊かな緑に囲まれた理想郷をなしていました。

 今回の講演は、経済・経営学部で行われました。洗練された伝統的な建築様式の大きな建物で、三年前に新しく改築・増築されたようです。正面玄関の電光掲示板で今回の講演に関する歓迎の表示があり、中国式で厚い歓迎を受けました。講演では、武漢大学の同学部の主任教授、ウェン先生に紹介されて、少し緊張して始まりました。英語で行ない、最初は中国語の通訳をはさみながらすすめたのですが、学生たちの質問は流暢な英語で本格的な内容のものでしたので、途中で通訳は要らないということになり、英語のみですすめることになりました。参加者は、武漢大学の博士課程の学生が中心です。多くの学生たちが、英語で講義を聞いて、英語で堂々と質問することができます。その水準の高さに驚きました。むろん学生たちは、ふだんは英語の講義を受けているわけではなく、マクロ経済学やゲーム理論のような講義でも、中国語で受けているようです。

 ちなみに中国では、博士課程に進学することはとても難しく、全国統一の試験に合格しなければなりません。試験のための参考書を使って、英語と社会科学に関する基礎知識を身につけることが最重要課題となります。その際、博士課程に進学するためには、研究テーマを自分で立てる必要がありません。学生たちは、博士課程に入学してから、指導教官にテーマを与えられることが多いようです。武漢大学では、一学年に200人の学部生に対して、一学年に100人の博士課程の学生が入学しています。他大学からの進学もあります。大学の先生になるためのニーズがあります。博士課程の講義と研究を中心に、この大学は機能しているようにみえます。むろん最近では、大学に職を得ることが難しくなり、しかも大学の教員を採用する際に、海外でPh.Dを取得した人が優先されます。武漢大学で博士号を取得しても、なかなかよい職を得られないという状況が生まれており、海外に留学するだけの資本ないし機会に恵まれないと不利のようです。

 講演では、博士課程の学生たちの水準が高いので、私の説明もできるだけ高度にしました。最後に、アンケートに答えていただいたところ、最も支持された思想は、「リベラリズム」(4名)でした。その次に支持されたのは、近代卓越主義(3名)とマルクス主義(3名)です。ただ全般的にみると、学生たちの見解はかなり分散したように思います。博士課程の学生たちが、このように多様な考え方をもっていることは歓迎すべきです。今回のアンケート結果で、学生たちの立場が多様になったことは、中国における思想的寛容を示しているのではないかとも思います。

 ある学生の質問に、経済倫理やイデオロギーというのは個人的(パーソナル)な問題だから、個人的なものとして扱うべきではないか、というものがありました。しかしまさに、イデオロギーは公共的な政治闘争になりうるのであり、支配的なイデオロギーは、社会を変革するための指針となるでしょう。

 博士課程の大学院生のあいだで、とりわけリベラリズムが支持される背景には、中国における「コネ社会」に対する批判的な視点があるかもしれません。大企業に就職する機会の90%は、コネのようです。コネクションがなければ、実力があっても、なかなかよい企業に就職できない。あるいは就職しても、なかなかよい地位に昇進できない、という現実があると伺いました。大学を卒業して、大企業に就職したものの、コネ社会の不条理な現実に直面して、大学院に戻ってきたという人もいます。大学組織では、コネはあまり重視されません。実力主義と合理主義で組織が動きます。そのほうが納得できる、という人が大学に集まるのでしょう。(それでも、例えば博士課程に入学する際に、それぞれの教員は毎年一人の学生を受け入れると決まっているのですが、コネを使うことができれば、追加で受け入れてもらえることもあるようです。また有名な権威ある先生のもとで指導を受けている学生は、就職も有利なようです。)

コネ社会は、「集団内の決定に法を持ち込まない」という意味で「自由な社会」です。しかしリベラリズムは、この考え方を否定します。集団内においても、法の力を借りて、公平な取り扱いを求めます。リベラリズムは、中国においては、共産主義に対するアンチというよりも、コネ社会に対するアンチとして、支持されているように思われました。

 ちなみにアンケートでは、マルクス主義の立場をとった人が3名いましたが、私が知り合った学生で、コーエンやローマーやエルスターなどの現代の左派思想を研究している人は、「国家型ディープエコロジー」に分類されていました。

 中国でマルクスやマルクス主義を研究する人がそれなりの割合でいることは、次のように説明できるでしょう。博士課程に進学するときに、学生はテーマを決めないで入学します。そして入学後は、指導教官との相談で研究テーマを決めます。博士論文は、金銭上のインセンティヴも働き、ぜひとも三年間で仕上げなければなりません。一年目は講義の単位が課されているので、実質的には二年間で書き上げなければなりません。書き上げないと、お金に困ります。博士課程の学生の場合、学費は無料で、全寮制の下で、一定の月給をもらいます。その月給を生活費に当てながら研究します。ところが三年を過ぎると、この月給がなくなり、生活に大変苦労します。そのような金銭上のインセンティヴが働くため、学生たちは、自分でテーマを探して納得のいく論文を書くよりも、指導教官にしたがって書いたほうが有利なようです。先に紹介した現代のマルクス派を研究している人も、修士課程ではマイノリティの経済学という、まったく別の研究をしていましたが、指導教官に進められて、現代左派思想の研究をはじめたようです。

 武漢大学にかぎらず、中国の大学の経済学部では、現在、経済学史やマルクス経済学のポストを減らす傾向にあり、近代経済学の研究を重視する傾向があります。日本と類似の事態が進行しています。中国におけるマルクス経済学の研究は、経済学部ではなく、マルクス研究学院に集約されていくかもしれません。といっても、マルクス研究学院でマルクスを研究している人たちは10%程度と伺いました。

 いずれにせよ、博士号を取得した人は、その後「研究員」という身分になり、一定の給料を得ながら、二年間(あるいは三年間への延長も可能)の研究生活に入ります。その二年のあいだに、大学教員になるための就職活動をするわけですが、最も重要なことは査読つきの論文を書くことです。この点、日本人と変わりません。

 

***

 

 最後に、日中関係の改善のために、一つ書き記しておきます。

 20129月、尖閣諸島問題が激化しました。その影響で、北京大学での私の講演はキャンセルされ、一刻も早く帰国するように求められました。少なくとも北京においては、日本人は観光できないという異例な状態となりました。この問題の影響は、中国の学界にも及んでいます。

 尖閣諸島問題がおさまっても、中国では、日本に関係するさまざまな行事が中止となり、大学では日本に関係する研究論文の掲載を、当分のあいだ見送るという事態が起きました。見送りは二年間も続いたようです。こうした対応によって、中国における日本研究者たちは傷ついたにに違いありません。博士号を期限内に取得できなかった人もいるかもしれません。中国の大学組織は、中国における親日派の人たちにサンクションを与えました。日本について研究することは政治的なリスクがあるというシグナルを与えています。中国における親日派が減り、日本に対する理解がさらに悪化するのではないか、と懸念されました。

 それでも私は中国で、温かいもてなしを受けました。華中師範大学ならびに武漢大学の教員・学生の皆様に、心からお礼申し上げます。今回の訪問で育んだ絆を大切にしたいと思います。